おんがくの墓参り

最近の音楽の傾向についての、ちょっとした備忘録。

こんなことを書き始めた時点で、「もう自分はジジイ化してきたのかな」と一瞬思う。

でも、最近の音楽を聴いていると、リスナーの想像力を“掻き立てる”というより、
先に与えられるものがあまりにも多いと感じる。

ビジュアル、世界観、映像。

それらが早い段階で、しかも丁寧に写真やグラフィックのように提示され、
音楽はそのあとから“映画を見せるためのBGM”のように機能している楽曲が増えている。

結果として、音楽の構造や、音そのものの存在感、音の本質のようなものよりも、簡単に言えば

「かっこいい人が歌っている」

「かわいい女の子が歌っている」

そうした人物のイメージが先に浮かぶ音楽が、あまりにも多くなった。

歌物である以上、「人が歌っている」という前提は昔から変わらない。
歌い手の顔やキャラクター像があまりにも写実的に、具体的に描かれすぎていて、聴き手がそこに入り込む余白がない。

たとえば昔の曲なら、ボブ・ディランがどんな人物かカーペンターズがどんな人たちか、
そんなことを想像する前に、音としてこちらに呼びかけてくる何かが確かにあった。

今は、少し違う。

おそらく、伝統音楽やルーツミュージックの純度を十分に引き継がないまま、
現代のフォーマットに落とし込まれているからかもしれない。

言い換えれば、祖先が何なのかわからない音楽が、あふれているように感じる。

お墓参りには行きましょう。