音楽くらいちゃんとやれ

今日は少しまじめに。

音楽アーティストのオリジナリティについて やっぱり一生のテーマではあるんだけど 私はどこかでまたコンプレックスがあって 音楽に自分の音楽に本当のオリジナリティがあるとは思えていない。

オリジナリティを磨いた人たちに磨いた道をなんとなく見ると 初めからあるようにも見えるし 剥き出しの芽のようにも見えるし。

たぶん外界に剥き出す芽の様にヒリヒリした感覚なんだけど、隠す概念は無く本能的に生命的、イマジネーション的に出さずにはおられない。それがオリジナリティだなとは思っている。

ふとしたときそれを忘れ、楽な道に逃げようとする。

なんとなく体裁を固めて仕上げることができるので それにより本質・本心をうまく隠すことにも長けてしまっている。

つまり自己防衛でありオリジナリティとは遠く遠ざかる。

オリジナリティがありポピュラリティがあり 一つの作品の形としてされるが、その順番を間違えると本質的に何も感じない、オリジナリティがないというところになるのだろう。

外界に芽を出す大変だから、みんなそんなに頑張らなくていいのに...ってどっかで思っちゃっている。

どこかで楽していこうぜって思っちゃっている。

少しそんな自分の負い目がはいつも本当はあった。

本当のアーティストは孤独で孤高で憧れも強く、妬みもコンプレックスも強く、外見から見る美しい精神状態というところにはとどまっていない。

エゴイストでないと成り立たない。

必死である、その必死さがしんどいから私はどこかで逃げていたし 、疲れるとわかっているから、小手先の器用さでごまかしてきたところがある。

でもこれからはそれは通用しない、ここからの10年 もっとあっという間で1,2年のように感じるかもしれない いや1ヶ月ぐらいに感じてしまうかもしれない。

だからこそ最後の呼吸と命をぶつけるのみ 悔いなしでね。行こうと思う。

そうなれば嬉しい。その方向に歩む。